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GOOD LIFE フェア2025

インタビュー出展者に聞きました

2023.07.26

地域の魅力

「仙台牛たん」の価値を高めたい 親子3代が紡ぐ夢

富谷市


宮城県の県都・仙台市の北隣にある富谷市。ここに本社を置く喜助は、1975(昭和50)年の創業から半世紀近くにわたり、「仙台牛たん」を地元の名物に育ててきた。

「祖父が仙台牛たん発祥の店で食べた牛たんのおいしさに衝撃を受け、50代で脱サラし、仙台市内に『味の牛たん喜助』の1号店を開いたのが始まりです。当時大学1年生だった私の父に学業との二足のわらじで手伝ってもらいながら、その店の職人から技術を学んだと聞いています」。キスケフーズ社長の大川原卓磨さんは、創業の経緯をこう語る。

「店を始めたころは、牛たんという素材自体があまり浸透しておらず、『知る人ぞ知る』存在でした。祖父は脱サラ前にはデパート勤めだったこともあって、接客サービスに力を入れました。お客様、特に女性の口コミを重視しなければと考えたようです」

それまで出していた牛たんを食べやすいように半分にカットして提供したり、「焼肉のたれのような味の方が食べやすいのでは?」という女性客の声に応えてしお味だけでなくたれ味を出したりといった工夫を重ねるうち、地元の家族連れや全国からの観光客が列をつくるようになっていった。

創業5年後の1980年、JR仙台駅前に開いた2号店では看板に「仙台名物」と掲げ、地元の名産品として積極的にアピールした。2年後に東北新幹線の大宮―盛岡間が開業したことも追い風になった。


牛海綿状脳症(BSE)問題で業界が苦境に立たされた2002年2月には、祖父の後を継いだ父が同業者に呼びかけて「仙台牛たん振興会」を設立。牛たん焼きを提供する店の「牛たんマップ」を作ったり、9月10日を「牛たんの日」と定めてイベントを開いたり、ブランド価値の向上や地域振興に努めてきた。

喜助では主に、トウモロコシなどの穀物主体で育てた北米産を仕入れている。牧草で育てた牛と比べ、穀物で育てるとほどよくサシが入り、肉質が柔らかくなるからだ。

工場では熟練の職人が皮をむいた後、手作業で薄皮やスジを取り除き、同じ厚さにスライスしていく。さらに、脂の量や肉の厚みによって微妙に分量を変えながら塩を手ぶりし、積み重ねた状態で数日寝かせて熟成させる。

「熟成させると肉自体の重みでドリップが出て味がなじみ、塩のとがった味が落ち着いてまろやかになります。おいしさのポイントは塩の手ぶりで、ほかの工程は少しずつ改良を加えていますが、ここだけは創業時から変えていません」

加工を終えた牛たんは東京、神奈川など5都府県にある15店舗で出されるほか、仙台市内の土産物専門店や通信販売、ふるさと納税の返礼品として全国に届けられる。


地元・富谷市のふるさと納税の返礼品で特に人気なのは、「職人仕込牛たん しお味」だ。喜助の牛たんは通常、7ミリの厚さで提供しているが、この商品は約1センチの厚切りで、肉の歯ごたえや旨みを存分に味わうことができる。「ご家庭で楽しむならフライパンに油をひかず焼いて、まずはそのまま味わってみてください。味を変化させるなら、レモン汁より七味唐辛子がおすすめ。仙台ではレモン汁はあまり使わないんですよ」と大川原さん。

実は、自身も都内にあるデパートの婦人服売り場で6年働いた後、2009年に地元に戻ってキスケフーズに入社した。

東京で出身地を伝えると「じゃあ、牛たんが名物だね」と言われ、「実は家業が……」と明かすと、「何で継がないの?」と残念がられた。「父から後を継げと言われたことはありませんでしたし、地元にいたころは、牛たんは『あって当たり前』の存在でした。東京で暮らしたことで祖父や父が育ててきた牛たんのブランド価値に気づき、私もその一翼を担いたいと思うようになりました」

入社後は1年ほどかけて仕込みや販売などの現場で基本を学び、デパート勤務の経験を生かしてEC販売などの取り組みを進めてきたという。

喜助は2025年に、創業50年の節目を迎える。大川原さんのいまの目標は、海外出店と牛たんを活用した新たな商品をつくること。「最近、東京の人形町に串焼きをメインにした『きぐし』というお店をつくりました。これまで牛たん焼きではあまり使わなかった部位を味わってもらうなど、違った切り口で、幅広い商品づくりに挑戦していきたいですね」と語る。

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