コロナ禍のマスク生活で「マスクにひと吹きすれば快適」と注目され、花粉症に悩む人にも「鼻がスーッとする」と好評の植物、ハッカ。その生産で国内の約9割を占める「日本一の和ハッカの産地」は、北海道の北東部にある。オホーツク海から内陸部に入った山間地域にある滝上町(たきのうえちょう)だ。
森林が町の面積の9割にのぼり、人口は約2200人という自然豊かな町。薄紫色の小さな花をつけたハッカの刈り取りはお盆過ぎから始まり、畑の辺りにはスーッと爽快感あふれる香りが漂う。
栽培農家の藤村利史さんは「除草剤を使わず、草取りもすべて手作業。収穫にたどりつくまで膨大な手間がかかります」と話す。雑草に交じると品質が悪くなってしまうため、丁寧な草取りが欠かせないのだという。
刈り取ったハッカは畑で乾燥させたあと町内の蒸留窯に運びこみ、水蒸気蒸留という方法でハッカ精油を採る。ところが、2トントラックの荷台いっぱいの乾燥ハッカから採れるハッカ精油は、わずか15キロ前後。それでも、「和ハッカは滝上にしかない。私たちがやめれば途絶えてしまうという思いでやっています」と藤村さん。
和ハッカと、スペアミントやペパーミントといった洋種のハッカとの大きな違いはメントールの含有量だ。洋種は30~40%だが和ハッカは65%と高く、より強い清涼感が特徴だ。
滝上町で和ハッカの栽培が始まったのは明治末期で、戦前の1936年には作付面積が東京ドーム約240個分にあたる1124ヘクタールに達した。当時、日本産のハッカは世界の生産量の約7割を占めており、その主要産地が滝上町を含む北見地方だった。
しかし戦後、安価な海外産のハッカや化学的につくる合成ハッカが出回るようになると価格は大きく下がり、冷害も加わって栽培農家は壊滅的な打撃を受けた。いま、町内には5軒の栽培農家、計6ヘクタールの畑が残るだけだ。
「残っていることが奇跡的」と話す藤村さんは東京生まれ。知り合いがいた関係で25年前に移住した。輸入雑貨業などを営むなかで和ハッカを売り出そうと栽培農家に相談したところ、「自分でつくりなさい」と言われたことをきっかけに、15年前から栽培に取り組んでいる。3年前には栽培農家3軒で「滝上町和ハッカ・ラボ」を立ち上げた。
見直される価値
和ハッカ・ラボでは、「ほくと」と「JM-23号」という2品種の和ハッカを栽培している。ほくとは爽快感が強く、JM-23号は優しい爽快感とともに、ふわっとした甘い香りがある。JM-23号は、普及させようとした矢先に栽培農家が激減したために広がらなかった品種で、「幻の和ハッカ」とも呼ばれている。
近年、これら和ハッカは品質の良さや、できるだけ農薬を使わず、栽培・収穫・蒸留といった一連の作業を町内で行うことによる安心感、そしてハッカ精油が年間300キログラムしか採れないという希少さからその価値が見直されつつある。エッセンシャルオイルとして化粧品や医薬品、虫よけスプレーなどに使われ、道内のコンビニエンスストアが開発した食品・飲料商品もヒット。海外の業者から問い合わせも入るなど、価格はここ十数年で5~10倍になったという。
厳しい時代でも貴重な「和ハッカ」を守り続けてきた栽培農家たち。その努力に共感する移住者たちが手を携えて、滝上町の将来に向けて動き出している。
神奈川県から移住してきた町観光協会の吉田龍ノ介さんは「和ハッカはまだ知る人ぞ知る存在ですが、可能性を秘めた貴重な商品」といい、観光資源として活用できないか構想を練っている。町外から町商工会へ転勤してきた巻島純一朗さんは「ハッカは昔から生活に身近な存在だった。需要が高まりつつあるいま、企業とマッチングしながら和ハッカの新しい可能性を探っていきたい」と話している。